• ニョイスミレ
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土手の草地に,草々の間からニョイスミレが小さな花をのぞかせていました。
花の大きさは,タチツボスミレの半分ほどしかありません。

いがりまさし著『増補改訂 日本のスミレ』(2004年)によると,ニョイスミレの特徴は次のようになります。

・茎を斜め上にのばし,草丈は5~ 25センチ。
・花は白色で,直径1センチ前後と小さい。…[写真1][写真2]
・唇弁には緻密な紫色のすじがあり,側弁の基部には毛がある。…[写真3]
・距は短く,ぽってりしている。色は白色~淡緑色。…[写真4]
・花柱は上部がすこし左右にはりだす。…[写真3]
・葉は幅2~4センチの心形~腎形。…[写真5]
・葉はふつう無毛で,両面ともとも緑色だが,まばらに毛があるものや,裏面が紫色を帯びるものもある。…[写真5]
・托葉は全縁またはまばらな鋸歯がある。…[写真6]

ニョイスミレの別名はツボスミレといいますが,ツボスミレをニョイスミレに改名したのは牧野富太郎のようです。『牧野富太郎植物記1』(1973年)には,次のように書いてありました。

ツボスミレの「ツポ」ということばの意味については、むかしからいろいろいわれていますが、わたしは、「ツポ」とはむかしのことばでいう「庭」のことだと思っています。
広い意味では庭先から野辺へかけての地域を「ツポ」とよんだものと解釈されます。

ですから、ツボスミレの「ツボ」は「庭先」という意味だと解釈されます。ツボスミレはつまリニワスミレ、あるいはニワサキスミレという意味だと思われます。
ツボスミレは、はじめ庭さきにはえているスミレをそうよんだものでしょうが、野辺に咲いているスミレのこともツボスミレというようになったものだと思われます。

ふつうのスミレと、このツボスミレとは平安時代から別の種類として区別されていて、万葉集でもスミレとツボスミレの二つのよび名があらわれています。

「堀川院百首」というむかしの歌の本に出てくる歌には、「はこね山うす紫のツボスミレ ニしほ三しほ誰が染めけむ」「浅茅生の荒れたる宿のツボスミレ 誰が紫の色に染めけむ」というのがあります。この歌をみてもわかるように、ツボスミレはむらさき色の花をもち、染めものに用いたことがわかります。

ツボスミレの花は、むかしの歌にもよまれているようにむらさき色の花でなければなりません。ですから、今日、ふつうの図鑑に出ているツボスミレは、むかしのツボスミレではないことになります。
それではほんとうのツボスミレは、どんなスミレなのでしょうか。今日ひろくタチツボスミレとよばれているスミレこそ、むかしのツポスミレなのです。タチツポスミレにはむらさき色の花が咲き、むかしの歌に出てくるツポスミレとぴったりします。ですから、タチツボスミレというよび名はまったく不用で、これをむかしからのよび名であるツボスミレにもどすべきなのです。しかし、タチツポ
スミレという名がぶつう用いられているので、タチツポスミレでもよろしいが、むかしのツボスミレはこのタチツポスミレなのです。
ところが、やっかいなことには白い花をつけるツポスミレという名のスミレがほかにあるのです。このスミレはむらさき色ではなく小さな白い花をつけるスミレで、名は同じですがむかしのツボスミレではありません。そこで、わたしは、この小さな白い花をつけるスミレをニョイスミレ(如意スミレ)と命名し、混乱をふせぐことにしました。

ツポスミレというよび名は、むかしの人が着た衣のかさねの色目にもつかわれています。これはこの花の色素で衣を染めたからです。この衣のかさねの表はむらさきで、裏は青か、うす青だったようです。このことからもむかしの人がよんだツポスミレはむらさき色の花をもっていたもので、今日誤ってよばれている白花のツボスミレ(ニョイスミレ)ではないことは明らかです。