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節分

2011年2月9日
  • カワウ

2月3日は節分,翌2月4日は立春でした。

たまたま今年は節分の翌日が立春だった訳ではなく,節分とは立春の前日をいいます。
なぜ立春の前の日に意味があるのかというと,旧暦(太陰太陽暦)では立春が年の初めとされていたからです。
節分は年の最後の日,いわば今の大晦日にあたります。

といっても旧暦で,立春イコール1月1日というわけではありません。
立春前後がお正月になるように決められていますが,旧暦は太陰暦なので,月の初めの日は新月の日でなければなりません。
旧暦の正月は,二十四節気の雨水(うすい)を含む月になります。
言いかえると,雨水直前の新月の日が1月1日となります。
今年2011年の旧正月は2月3日,2010年は2月14日,2009年は2月1日,2008年は2月7日でした。

立春は年月に関わる運勢上の循環の始まり,節分は区切りとなります。
例えば,厄年は「数え年」で数えますが,節分までの生まれは前年生まれとなるそうです。

節分には,様々な邪気をはらう行事が全国各地で催されます。
平凡社『世界大百科事典』(2007年)には,節分の行事について次のように書いてありました。

現在の節分行事はほぼ全国的に,いり豆をまく追儺(ついな)の行事と門口にヤキカガシ(ヤイカガシ)を掲げる風習を行う点で共通している。社寺でも民間でも盛んに行われる豆まきの唱え言は土地によって各種あるが,<鬼は外,福は内>というのが一般で,訪れる邪鬼をはらおうとするものと解されている。豆で身休を撫でて捨てる風もあり,これは災厄の祓と考えられよう。ヤキカガシとは,焼いた鰯の頭など臭気の強いものを豆の枝や鋭い葉をもつ柊(ひいらぎ)にさして家々の入口に掲げるもので,鬼の目突き,鬼おどしなどと呼ばれ,これも邪霊防御の手段とされている。

[写真1]は,焼いたイワシの頭をヒイラギの小枝にさした柊鰯です。
今まで作ったことがなかったのですが,どんな感じになるのか作ってみました。
ご近所で柊鰯を飾っている家はありません。
ネットで調べてみても,奈良市内では今でもよく見られるようですが,京都市内ではほとんど見かけないようです。

淡交社『京都 暮らしの大百科』(2002年)には,次のように書いてありました。

魔除けの柊に鰯の頭をさして玄関口に置く習俗は今も健在,とくに左京区鞍馬寺の門前町に残っている。

「今も健在」と書いてありますが,私は実際に柊鰯を飾ってあるところを見たことがありません。

節分の日に壬生寺で演じられる壬生狂言の中には,後家が豆を用意し,柊に鰯をさして門口につける様子が出てきます。
その後,厄払いがやってきて厄をはらうまじないをします。

淡交社『ハンディ鑑賞ガイド 壬生狂言』(2000年)には,厄払いについて次のように書いてありました。

この狂言には厄払いという人物が登場する。厄払いは「鶴は千年,亀は万年,東方朔(とうほうさく)は九千年,三浦大介(みうらのおおすけ)百六つ,向こうから鬼が来たら私が追い払いましょう」と,めでたい言葉を仕草する。
鶴亀は長寿の生き物。東方朔は中国の故事にある長寿の仙人。三浦大介は,源頼朝の忠臣三浦義明のことである。
 かつては,厄払いが各家を巡ってこれらを唱え,謝礼に年の豆と銭を包んだものをもらい受けていたが,今ではまったく見られなくなった。

実際に,厄払いが家々を回っていたのですね。
現代では厄払いも,柊鰯もおこなわれなくなり,一年の納めとして邪気をはらう意識もなくなり,節分といえば豆まきをする日というだけになりました。

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