疏水にたまっている砂の浚渫が始まりました。[写真1]
毎年この時期に水量を減らし,1年間に溜まった砂が浚渫されます。
疏水の動物園南には白川が合流しているため,かなりの量の砂が溜まるのです。
[写真2]は,浚渫前の白川合流地点の様子(浚渫準備で水位が下げられています)。

「白川」の名は,川底の白い砂で川が白く見えることから名づけられたといわれています。
淡交社『京都大事典』(1984年)には,白川について次のように書いてありました。

左京・東山両区を流れる川。長さ約9.3キロ。左京区の東山山中に発し,西流して同区北白川に至り,ついで吉田山の東,岡崎方面に流れ,京都市動物園付近で琵琶湖疏水に入ったのち,再び南西流して東山区四条大橋の北で鴨川に注ぐ。上流は風化の進んだ花崗岩山地からなり,そのため大量の石英砂が川床を埋め,川名もそれに由来。旧河道は谷口の北白川から扇状地上をまっすぐ西方の百万遍付近へ流下し,氾濫のため縄文・弥生遺跡や白鳳期寺院が埋没している。

川底が白いだけでなく,雨が降るとまき上げられた砂で川の水も白く濁ります。
雨の降った翌日に合流地点を見ると,いきおいを増した白川の水が白い帯になって流れ込んでいます。[写真3]

この場所に溜まっている砂は,白川由来の砂,いわゆる「白川砂」です。
昔から銀閣寺や龍安寺などの庭園に用いられた砂として有名です。
白川の源流域は風化した花崗岩地帯。
花崗岩は結晶の粒が大きいため風化しやすく,ばらばらにくずれると構成鉱物の粗い粒子になります。
中学校で習ったように,花崗岩の主な構成鉱物は,石英,長石,雲母。
石英,長石は白いので,花崗岩も全体的に白っぽく,崩壊してできた砂も白い砂になります。
集められた砂を手に取ると,きらきらと光っています。[写真4]
雲母が光っているのですね。
[写真5]は,スキャナーで拡大したもの。(目盛りはミリ)

白川のすぐそばにある銀閣寺の庭には白川砂が敷き詰められています。
銀閣寺の背後にある山が大文字山です。
洛中からみると,大文字山の北側が低く谷になっていて,そこに白川が流れています。
さらに北に行くと急激に高くなり比叡山がそびえています。
Google Earth で,視点を低くして鴨川あたりから東山を見ると,次のようになっています。

比叡山と大文字山が周囲の山より高く,その間の谷間に白川砂がとれることには関連があります。
京都地学会編『京都の地学図鑑』(1995年)には次のように書いてありました。

この間には南北5~7km、東西約5kmの白川花こう地帯がある。黒雲母花こう岩で褐簾石を含むのが特徴。他にアプライトや煌斑(こうはん)岩,また東部には花こう斑岩の長大な岩脈が南北方向に貫入している。
 図の推定断面で,両端にみられるように古生代末から中生代初期の古い堆積岩中に,白亜紀末約9800万年前に花こう岩が貫入して熱変成作用をあたえ,境界にホルソフェルスという熱変成岩を生じた。比叡山と大文字山はこの風化しにくい変成岩により山頂として残ったものである

(同書の図を元に作成した図)
断面図  »»拡大

花崗岩はマグマがゆっくりと固まってできた火成岩です。
マグマが地殻に入り込むことを貫入といい,貫入がおこると周囲の岩石は熱によって変成作用をうけます。

比叡山には砂岩が熱変成してできた砂岩ホルンフェルスがあり,大文字山には粘板岩が熱変成してできた粘板岩ホルンフェルスがある。
→その間の一帯には花崗岩が分布している。
→ということは,この地域に花崗岩が貫入したのだろうと推測できる。
→ホルンフェルスは固い岩石なので風化しにくく,比叡山と大文字山は周囲より高くなる。
ということのようです。

Google Earth で視点を高くして一帯を俯瞰してみると,比叡山と大文字山がカルデラの外輪山のように花崗岩地帯を取り囲んでいるのがわかります。

現在は,白川砂の採取は禁止されているので,採掘した花崗岩を砕いて白川砂としているようです。
でも,岩を砕いて作った砂は,川砂のように角が丸まっていないですよね。
昔と同じ「白川砂」は,もはやなくなったということでしょうか。
毎年この場所で浚渫されている砂が,唯一,昔と同じ本物の「白川砂」なのかもしれません