オオスズメバチ(もちろん死んでいる)の前翅を前後に動かしてみると,後翅も連動して動きます。
後翅の前縁に小さなフックが並んでいて,前翅後縁にひっかかっているのです。
これで前後の翅を連結して一枚の大きな翅として働かせています。

[写真3]は,後翅の前縁に並んだフック(翅鉤(しこう))。
[写真4]は,前翅の後縁部分を切断した断面です。
フックが引っかかりやすいようにカールしています。
[写真5]は,フックが後縁にひっかている状態です。

大阪市立自然史博物館『ハチまるごと!図鑑』(2012年)には,ハチの翅について次のように書いてありました。

翅は4枚あり,透明で膜状です。やや長い前翅とそれより小さい後翅をもちます。後翅の前縁には翅鈎(hamuli)と呼ばれる一連の小さなフックが並んでおり,これを前翅の後縁にひっかけることにより,前後の翅を一枚の大きな翅として働かせています。ハチの仲間の専門的な呼び方である膜翅目(Hymenoptera)は古代ギリシア語で膜を意味する”hymen”と,翅を意味する”pteron”が結びついたもので,膜の翅というハチの特徴をよく表した名前です。同時にHymenというのはギリシャ神話の婚姻の神で,ハチの前翅と後翅が結びついている様子を意味しているとも言われています。翅には「翅脈」が,植物の葉脈のように走っています。この翅脈は翅の支えとなって,高速での翅ばたきを可能にしています。翅脈は一般的に祖先的なハチであるハバチやキバチでは複雑で,徐々に単純なものとなる傾向が見られます。またコバチ類などの小型のハチでは非常に単純化が進み,翅の前縁のみに見られる場合もあります。

[写真1]は,前翅と後翅が連結して一枚になっている状態。
いかにも速く飛んで,かつ小回りがききそうな,戦闘機の翼のような形をしています。

[写真2]は,分離させた前翅と後翅。
前翅は後翅の倍以上の大きさがあります。
翅脈は割と単純です。

虫は進化するにつれて,翅脈は単純化し,後翅は小さくなっていく傾向にあるようです。
不完全変態のトンボやバッタの翅と,完全変態であるチョウやハチ,ハエの翅を比べると,完全変態であるものの方が翅脈は単純で,後翅も小さくなっています。
ハエに至っては,後翅が退化して平均棍といわれる器官に変化してしまっています。
上書によると,ハチの仲間のなかでも,より進化した種の方が翅脈はより単純化する傾向にあるようです。

そもそも虫の翅は,何が変化したものなのでしょうか。
平凡社『世界大百科事典』(2007年)には,昆虫の翅について次のように書いてありました。

多くの昆虫の成虫には翅が4枚(中・後胸部に各1対)ある。体壁の背側部が左右に伸長してできたものであるが,一般に薄い膜質で,その中には筋肉がなく,気管から変化した脈が走っている。古生代に生息した原始昆虫のなかには前胸も伸長しているものがあるが,翅は広げたままで,滑空できる程度であった。その後,しだいに前翅・後翅に分化が起こり,たたみこめるようになり,飛翔能力を獲得することによって生活圏や分布を広げ,昆虫類の現在の繁栄をもたらした。現存の無翅昆虫のなかでも,個体発生のある時期(ノミではさなぎ期)には小さい翅状突起がみられる。甲虫目(鞘翅目)では前翅が硬化して翅鞘,直翅目(バッタ類)ではやや硬化して覆翅,半翅目(カメムシ類)では基半部だけが硬化して半翅鞘となる。双翅目(ハエ類)では後翅が平均棍となり,飛行中の平衡を保つのに役だつ。トンボやバッタは前翅・後翅を別々に,チョウやハチは同時にはばたく。

世界大百科事典には昆虫の翅は「体壁の背側部が左右に伸長してできたもの」と書いてありますが,これは古い定説のようです。
朝倉書店『昆虫学大事典』(2003年)には,昆虫の翅の起源について次のように書いてありました。

 ムカシアミバネムシ目の化石には,前胸の背板両側に翅のような張り出しと翅脈様の構造があることから,翅は胸部側背板起源であると説明され(paranotaltheory),コウモリの翼やムササビの飛膜同様に昆虫でも翅が発達したとされた(例えばSnodgrass,1958)。しかし,筋肉のない側背板に複雑な構造と発達した筋肉系をもつ翅が生じたとは考えにくいことや化石に中間段階の昆虫が発見されないことなどから,1960年代まで定説とされた側背板説は単なるお話しにすぎないと考えられている。
 Birket-Smith (1984)は,現生昆虫の比較形態からカンブリア紀やオルドビス紀に節足動物の有節鰓から脚が発達した際,最基部の鰓が機能的に変化して翅になったと推定し,Kukalova-Peck (1978,1987,1991)は石炭紀化石昆虫の研究から,翅は上基節(epicoxa,Sharov,1966のprecoxale)にある肢外葉起源であるとし,翅の原器は幼虫の腹部を含む全節にあって,若い幼虫では側背板の下の部分と関節接合をして可動であるが,老熟するにつれて胸部では側背板と癒着するようになるとした。このように翅は付属肢最基部起源で,先駆構造物が機能転化して生じたと最近では考えられている。

平凡社『日本動物大百科 第8巻』(1996年)には,昆虫の翅について次のように書いてありました。

 昆虫の翅はまさに昆虫独自のものである。昆虫の翅の起源についてはいろいろな説があるが,とにかくそれは生物界には珍しい,まったく新しい出現物であった。
 両生類は魚のひれをあしに改良した。そして鳥はその前肢を翼に改良した。しかし,昆虫の翅はあしを改良したものではない。体の背と腹のあいだからまったく新しく側方へ張りだしたでっぱりを,関節で体にとりつけた新製品であった。
 翅で空中を飛べるということが,昆虫にどれほど大きな利益をもたらしたことか。翅のおかげで彼らの移動能力は格段に高まり,空間距離はいちじるしく短縮された。大げさにいえば,翅の出現によって,昆虫においては空間が変容したのである。これが昆虫の”成功”のきわめて大きな原因の1つであったことはまちがいない。

 その翅を昆虫はじつにさまざまに改良し,それに従って多くのグループが生まれた。今われわれが昆虫類を,鱗翅(りんし)類,双翅(そうし)類,半翅(はんし)類などと”翅”の特徴によって分類しているのも,そのような理由からなのである。

生物の進化というのは不思議ですね。
もし人に羽が生えていたとしたら,どんな文明を作っていたでしょうか。