あけましておめでとうございます。
ウエスティン都ホテルの裏山(粟田山)にある,展望台から見た初日の出。
先行き不透明な今年を象徴するがごとく曇っていて,上ってくる太陽を見ることはできませんでした。
[写真1]は午前7時28分に写したものです。
もうこの時間には山の向こうから太陽が頭をのぞかせているはずです。
国立天文台のホームページで,位置を指定しての詳細な「日の出入り」のデータを計算することができます。
この場所(緯度:35.007 経度:135.787)での日の出入りのデータは次のとおりでした。
緯度:35.007 経度:135.787 標高: 0.0 標準時:9
日付年月日:2009/01/01
出:7:05
方位:117.8度
南中時:12:00
高度:32.0度
入り:16:56
方位:242.2度
標高が0になっていることについては,次の説明がありました。
標高と日の出入り
標高が高くなると、地平線の方向が水平よりも低くなって、より低い高度の太陽まで見えるようになります。この結果、日の出の時刻は早くなり、日の入りの時刻は遅くなります。ただし、たとえ標高が高い地点でも、周囲全体が同じように高ければ地平線の方向は変わりませんので、このような効果は現れません。このため、通常は標高0mとして日の出入りを算出しています。
日の出時刻は水平線での計算上の時刻なので,実際の地形で山から日が上る時刻とは異なっています。
日の出入りについては,次の説明がありました。
日の出入り(ひのでいり)
太陽の上辺が視地平線(または水平線)に一致する時刻を、日の出・日の入りの時刻と定義しています。地平大気差を35'8"(大気の影響により地平線(または水平線)が浮き上がって見える)としています。
日の出の基準と,月の出の基準は違うのですね。
月の出入りについては,次の説明がありました。
月の出入り(つきのでいり)
月の中心が視地平線(または水平線)に一致する時刻を、月の出・月の入りの時刻と定義しています。
地平大気差は日の出入りと同様に35′8″としています。
惑星の出入りについても同様に定義しています。
国立天文台のページでは1日の太陽の動きをシュミレートすることもできます。
[図1]は1月1日の1時間毎の太陽の位置を示した図を合成したものです。
日の出の方角は北から東方向に117.8度(約118度)なので,粟田山から118度の方向をGoogle Earthの航空写真に示したものが[写真2]です。
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1月1日の初日の出の写真は,後で考えたら完全に夜が明けていて,「日の出」とは言えませんね。
いくら山の端から太陽が顔をのぞかせていないからと言って,日の出時刻から20分も後では夜は開けてしまっています。
今の時期,朝,走り出す時にはあたりはまだ真っ暗です。
走っているうちに,だんだん夜が明けてゆきます。
太陽は東山に隠れていて日の出といったものは意識したことはないのですが,日の出時刻を意識してあたりの様子を見ていると,日の出前にはかなり明るくなっています。
[写真1]は1月4日の6時53分,岡崎から東山を見たところです。
1月4日の日の出時刻は7時5分。
日の出8分前ですが,かなり明るいですね。
[写真2][写真3]は1月5日の午前7時5分。
1月5日の日の出時刻は7時5分。
ほぼ日の出時刻の様子です。
夜が明けるのは太陽が顔をのぞかせてからと漠然と思っていましたが,日の出時刻には地上の夜は明けているのですね。
タグ: | 日の出
朝,窓から外をみると雪が降っていました。
道に積もるほどではありませんが,かなり降っています。
[写真1][写真2]は今朝7時38分の様子です。
昨日の天気予報には雪マークがついていました.
予報通りに降りましたね。
このごろの天気予報はよく当たるようになった気がします。
昔に比べ観測の精度は上がっているでしょうし,コンピュータも使用されるようになり,天気予報の技術的な面は飛躍的に向上しているはずです。
そうした技術的な向上は,ほんとうに天気予報の的中率を上げているのでしょか。
調べてみると,気象庁のホームページに「天気予報の精度検証結果」が載っていました。
東京地方の予報精度の推移グラフです。»拡大する
これを見ると,雨が降る降らないの的中率は,1950年代が70%~75%なのに対し,2000年代は85%を超えています。
85%の的中率が高いのかどうかはわかりませんが,的中率が向上しているのは確かなようです。
近畿地方の,予報精度推移グラフ(最近15年間)も載っていました。»拡大する
»拡大する
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1月11日の夜,月がとても大きく見えました。
満月です。
写真を撮るならちょうど月齢15.0の時刻に撮ろうと,国立天文台のホームページで九条山の地点を指定して月齢15.0の時刻を計算しました。
それによると,1月11日の20時から22時が月齢15.0にあたります。
1月11日の20持45分,デジカメで撮ったのが[写真1]です。
望遠鏡は使用していないのに,以外にはっきり写っています。
[写真2]は大まかな地名を調べて記入したものです。
アポロ11号が着陸した地点の詳しい月面写真は,グーグル・ムーンで見ることができます。
月について色々と調べていたところ,私は2つの思い違いをしていたことに気がつきました。
①満月の時刻に,九条山の地点は関係ない。
満月は世界中同時に起こるので,九条山の地点など指定する必要はなかったのです。
天文学的には満月の時刻は,地球中心から見て月(の中心)と太陽(の中心)の黄経の差が180°になる時刻であって,満月は世界中同時に起こります。
当然,現地時刻には違いがあるので,満月の瞬間は夜のところもあれば昼のところもあります。
[図1]月の満ち欠け
②満月イコール月齢15.0ではない。
「月齢」は新月から何日経過したかを示したもので,月齢15.0が満月を示すものではありませんでした。
月齢の計算方法は,新月の時刻をもとに,経過時間を単純に足したものです。
国立天文台のサイト内にある暦要項(れきようこう)によると,2009年1月の満月の時刻とその直前の新月の日時は次のとおりです。
新月:12月27日 21時22分
満月:1月11日 12時17分
これをもとに1月11日12時17分の月齢を求めてみます。
(計算方法は「天文や天文台についての質問」によります。)
直前の新月の時刻から1月11日12時17分までには14日と14時間55分が経過しています。
端数の14時間55分は少数で表します。
計算:14時間55分÷24時間=0.621…
少数第2位以下を四捨五入して0.6
すなわち 14.6 が1月10日21時22分の月齢となります。
[図1]月の満ち欠けの図をそのまま素直に受け取ると,毎月満月の時は月食になりそうです。
毎月,月食がおきないのは,太陽を回る地球の軌道面と,地球を回る月の軌道面が少しだけ傾いているからです。
地球の影が月を隠す位置にくることは,めったに起こりません。
これから起こる月食は,2010年1月1日(部分月食),2010年6月26日(部分月食),2010年12月21日(皆既月食)となっています。
2010年には3回も月食が起こるのですね。
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動物園南の疎水は今,川底にたまった砂を浚渫するために水位が下がっています。
この時期になると,いつもは見かけないダイサギが姿を現します。
アオサギは岸から獲物を狙っている姿をよく見かけますが,ダイサギは浅瀬でないと採餌できないのでしょうか。
浚渫が終わって水量が増えると姿が見えなくなります。
今頃のくちばしは黄色いですが,夏は黒色になるそうです。
しかし夏にはこのあたりでダイサギを見ることはなく,黒いくちばしのダイサギも見たことはありません。
サギ類の体の特徴について,平凡社「世界大百科事典」(1988年)には次のように書いてありました。
サギ類はみな渉禽(しょうきん)型の体型をもち,くびと脚とくちばしが長い。翼は幅広く丸く,飛び方は長いくびうぃZ状に曲げ,ゆっくりとはばたいて飛ぶ。足は腿の下部まで裸出し,あしゆびも長く,水中を歩いて餌をあさることに適応している。水かきはない。中指のつめには痕跡的な柵(くし)状の刻みがある。羽色は種によって異なるが,多くの種では背や胸に飾羽があり,また後頭に冠羽をもつものも少なくない。
粉綿羽(ふんめんう)はすべてのサギ類に存在している。これは一生換羽しない特殊な羽毛で,その先端は崩壊して耐水性,耐摩耗性に富む微小な角質の粉末となる。それを他の羽毛にこすりつけると,羽毛がぬれたり,血や泥や魚のぬめりで汚れるのを防ぐのに役だつと考えられている。
あしゆびには水かきはない,と書いてあります。
そう言われてみれば,水かきはないですね。
何となく水かきが付いていそうな気がしたのですが,泳ぐわけではないので水かきは必要ありません。
あしゆびをよく見ると,流れのあるところでもふらつかないように,しっかりと水底をつかむ,長くてがっしりとした指をしています。
体全体のバランスからしても,あしゆびの長さはかなりの比率です。
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今の時期,イカルは数十羽の群れで生活しています。
エノキやムクノキの実を,集団でバリバリと音をたてて食べます。
[写真1][写真2]はサクラの木にとまっているところ。
花芽を食べていたので,サクラの木にとっては大迷惑です。
実を食べて種子散布に貢献してくれるのはいいのですが,木の芽を食べられては木にとっては困ったものです。
[写真3]は地面に落ちているエノキの実を食べているところ。
かなりの数のイカルです。
写真で数えてみると100羽程いました。
非繁殖期には群れで生活しますが,4月下旬頃になると2羽で鳴き交わしているのをよく見ます。
「キィーコーキィー」と特徴のある明るい声です。
繁殖期にはつがいで行動し,巣のまわりに縄張りを持ちます。
[写真1]のイカル。怒っているように見えませんか。
イカルの名の由来は,顔が怒っているようにみえるところから来たという説もあるそうです。
眉つばっぽい話ですが,この顔を見ると案外あたっているかもしれないという気がします。
イカルについて,平凡社「世界大百科事典」(1988年)には次のように書いてありました。
スズメ目アトリ科の鳥。ムクドリとほぼ同じ大きさで,全長約23cm。額,眼先,頭頂が黒く,大きい黄色色のくちぱしが特徴。体は全体に明るい灰色で,翼と尾は光沢のある黒色,翼には白帯があり,飛ぶときによく目だつ。比較的のっそりして,活発には活動しない。
日本では本州以北で繋殖し,北日本のものは冬にと本州中部以南に渡って過ごす。山地の落葉広葉樹林や,その二次林,林縁など,低木の入り混じった開けたところにすむ。分布はどららかといえば局所的で,全国的にはあまり数の多い鳥ではない。1夫1妻でなわばりをもって繁殖するが,なわばり性はあまり強いものではない。低木の枝にわん形の典をつくり,1腹3~4個の卵を産む。
キョッキョッと鳴き,キーコキーヨなどと聞こえる明るいおおらかな声でさえずる。冬は小群でいることが多く,ヌルデやアカンアなどの種子をパチパチと音を立てて割っては食べている。
百科事典を見ていて,ふと気付いたのですが,「イカル」の次の項目は「斑鳩(いかるが)」。
今までイカルと斑鳩の里を関連付けて考えたことはありませんでしたが,斑鳩は「まだらばと」とも読めます。
ひょっとして斑鳩はイカルのこと?
斑鳩の地名の由来について百科事典に載っていなかったので,調べてみると,やはり斑鳩の地名はイカルに由来するものでした。
『大和名所記』(延宝9年・681年)に,「斑鳩の里は常にいかるが群居せしよりこの名あり。」とあります。
当時の「いかる」が現在の「イカル」と同じ鳥かどうかは諸説あるようですが。
タグ: | イカル