道のまん中で,ジョウカイボンが交尾していました。[写真1]
確実にどちらかが雄で,どちらかが雌ですね。
雄雌を一度に捕まえることができる,またとない機会です。

交尾中も激しく動き回るので,写真がぶれてしまいました。
以前見たノコギリカミキリも,雌が激しく動き回っていました。(→2005年6月30日
カブトムシも交尾中,雌が逃げ回るそうです。

[写真3][写真4]は,左が雌,右が雄です。
雌の翅鞘には爪痕のような傷があります。
交尾の際,雄が上に乗って爪を立てたのではないかと思います。

北隆館『日本昆虫図鑑』(1956年)には,ジョウカイボンについて次のように書いてありました。(原文は旧漢字)

体は黒色,頭部両側の顴部・触角・口器・前背板の周縁・翅鞘及び脚の大部は黄褐色。腿節は基部の下面を除いて黒色。翅鞘の会合線は普通暗色を帯びている。全体に灰黄色の軟毛がやや密に生えている。頭部は後半に小点刻を密布し,前半にやや大きな点刻を散らし,眼の間に浅い凹みがある。触角は細長い糸状,第2節は最も短い。前背板はやや四角形を呈し,前方は僅かに狭まっている。背面の後半はやや膨起し,その中央に1縦溝がある。翅鞘は前背板よりも幅広く,両側はほとんど平行,全面に粗い点刻と小顆粒を散在し,黄色の短毛の間に直立した黒毛が生えている。雌は前・中両脚の爪の内側に小歯を具え,雄は触角第4節~第8節に長い溝を有し,後脛節は湾曲している。体長15mm内外。北海道・本州・四国・九州・琉球・朝鮮に広く分布し,春夏の候普通に見られる種類である。

雌雄の違いとして
・雌は「前・中両脚の爪の内側に小歯を具え」る
・雄は「触角第4節~第8節に長い溝を有し,後脛節は湾曲している」
とあります。

[写真6]は雄の後脚です。
後脛節が湾曲しているのが分かります。
雄の「触角第4節~第8節」にある「長い溝」は,じっくりと触角を観察したものの,よく分かりませんでした。
雌の「前・中両脚の爪の内側」にある「小歯」は,[写真3][写真4]を拡大してみても,確認できませんでした。

ジョウカイボンの名の由来について,ネットの解説では次のような説がよく載せられています。
「ジョウカイボンは浄海坊で平清盛の法名。昔ジョウカイボンはカミキリモドキと混同されており,カミキリモドキが持つ毒(カンタリジン)は皮膚に付くと火傷のような炎症を起こすことから,熱病で苦しんだ平清盛の名前に結びつけた。」

この説がどこから出てきたのか調べてみると,雑誌『自然』1977年1月号に長谷川仁氏が書いた「ジョウカイとチュウレンジ」が出所のようです。
2ページの短い文章で,虫の名の語源を考察する際の考え方や典拠について書かれたものです。
その中にジョウカイボンの語源についての,長谷川氏の推論が述べられています。

 ジョウカイボンを漢字で書けば浄海坊が正しいと思われる。私の推定では初めてこの方言で呼ばれた昆虫は現在のジョウカイ科(Cantharidae)の甲虫とは別のもので,おそらくカミキリモドキ科(Oedemeridae)の甲虫を指したと考えている。浄海の僧名をもつ最も著名な人は平清盛である。清盛は仁安2年(1169)出家して浄海と号したが,「おごる平家は久しからず」で治承5年(1181)大変な熱病にかかって死んだ。「清盛の医者は裸で脈をとり」と後年川柳によまれたほどの高熱であったが,平家滅亡後その亡霊として浄海坊の虫名が生れたとすれば,やはり「火ムシ」などの方言もあったマメハンミョウやカミキリモドキ類のように,熱いと感ずるほど烈しい皮膚炎をおこす虫を指したものと愚考する。
 長く京都に住んだ小野蘭山(1729~1810)は『本草綱目啓蒙』の芫菁の項で「今舶来ナシ間々蛮舶来アリ,紅毛語カンタリス(中略)斑猫ヨリ狭小長サ六七歩許ゼウカイニ似テ小ク緑色ニシテ金光アリ腹ハソノ光多シ」と記している。芫菁(Letta vesicatoria,ミドリゲンセイ)は今のジョウカイボンとはかなり異なる甲虫で,蘭山の記載は簡略に過ぎるがジョウカイをアオカミキリモドキあたりに当てはめてみるとはっきりしてくると思う。ジョウカイの和名の使用例は蘭山系の本草家の筆録類にはよく出てくるが,あまり図説されていない。もう少し京都の本草家や文人の記録を探索してから結論を出したいと思う。

その後,新たな考察が発表されたのかどうか分かりませんが,現在この説が定説となっているわけではないようです。