美術館前の石段の隙間に白い小さな花がたくさん咲いていました。[写真1][写真2]
目立たない地味な花です。
この旺盛な繁殖力は,外来種でしょうか。

名前を調べるために持ち帰り,花をじっくりと観察してみました。
花弁がつながり筒のようになっているということは,合弁花類でしょうか。[写真3]
縦に切ってみました。
真ん中に太い花柱らしきものが,周りには茶色い葯らしきものが何個かあります。[写真4][写真5]

でも,何か様子が変です。
茶色いものが,ぽろぽろと落ちてくるのです。
机に落ちた,その1mmにも満たない極小の粒々を拡大してみると,こまかな突起のある硬そうな表面をしています。[写真6]
これは,種です!
花だと思っていたのは,実は果実だったのですね。
他のものも,白い筒のなかには茶色い種がいっぱい詰まっていました。[写真7]

調べてみると,これはオランダミミナグサの果実でした。
やはりヨーロッパ原産の外来種です。
果実は成熟するにつれて咢より長く伸び,先端が裂開して種子を放出する仕組みになっています。

それならば花はどうしたのでしょうか。
まわりのオランダミミナグサを見ても花をつけているものは一つもありません。
美術館から家まで,歩道脇をずっと探しながら帰ったのですが,オランダミミナグサはいたるところに生えていたものの,花をつけているものは一つもありませんでした。
朝早かったせいかと思いお昼ごろに見て回っても,開花しているものはありません。

これはどうしたことでしょうか。
花期は4月~5月とあるのに。
ネットで色々調べていたら,オランダミミナグサは5月以降は閉鎖花をつけることが多いと,書いてあるサイトがありました。

いくつか見た図鑑にはオランダミミナグサが閉鎖花をつけるとは書いてありませんでしたが,『朝日百科 植物の世界』(1997年)のコラム「受粉の合理化を極めた花たち」に,オランダミミナグサは同花受粉花であると書いてありました。

ツメクサやシロイヌナズナのように,花の直径がわずか1~2ミリほどの小さな植物。あんな小さな花にどんな昆虫が来て花粉を運んでいるのか,疑問をもったことはないだろうか。これらの植物は,昆虫や風に頼る送粉をやめた同花受粉花の典型的な例である。まだ蕾のうちに袋をかけておいてもほぼ100%が果実になり,高い稔性率で種子をつける。葯と柱頭が接近していて同時に熟すので,自動的に自分の花粉で受精するからである。もちろん自家不和合性はない。

ほかにもナズナやタネツケバナ,オランダミミナグサ,スズメノエンドウなど,小さくて白っぽい花をつけるものは,同花受粉花と考えてよい。

閉鎖花については,次のように書いてありました。

閉鎖花とは文字どおり「閉じたままの花」を指し,ふつう私たちが「スミレの花」とよぶ開いた花は開放花という。スミレ属の閉鎖花は,開放花が終わる初夏から晩秋までつく。ナガハシスミレの大型株の場合,光条件のよい場所では,開放花を平均約10個,閉鎖花を約90個つける。閉鎖花のほうが圧倒的にたくさんつくのである。
 閉鎖花は長さが2ミリ程度。がくによって固く閉じられているので,一見,蕾のように見える。花弁は痕跡的で,距や蜜腺も欠く。雌しべの先は湾曲し,柱頭と葯はぴったりと接触している。葯は裂開せず,驚いたことに花粉は葯内で発芽して,花粉管は葯の壁を貫き,雌しべへと伸びて受精が行われる。つまり,送粉という過程を完全に省略した,合理化の極致ともいえる花なのである。まさに究極の自家受精といえよう

 閉鎖花だけをつける植物はごくまれで,普通はスミレ属のように開放花もつける。自家受精による確実な種子生産を行う閉鎖花に対し,開放花の目的は他家受精による質の異なる種子を得ることにあると考えられる。開放花には比較的大きく目立つ花冠があり,蜜や香りを十分に出し,葯と柱頭は空間的に離れているのが普通だからである。裏返していえば,閉鎖花という完壁な自家受精の装置は,開放花により他家受精の可能性を残すことを条件に発達したと考えられる。

どうやらオランダミミナグサも,花期の初めは解放花が咲いて遺伝的多様性のある少数の種子を生産し,後に閉鎖花をたくさんつけて生き延びるための大量の種子を生産しているようです。

平凡社『改訂新版 日本の野生植物』(2016年)には,オランダミミナグサについて次のように書いてありました。

路傍や耕作地などに生える帰化植物で,高さ10~60cmの越年草。茎はふつう直立し,葉とともに灰色がかった黄色の軟毛と腺毛がある。葉は卵形~長楕円形で,長さ7~20mm,幅4~12mm,下部の葉は小さく,へら形。花期は4~5月。花柄は短く,花は密集してつく。萼片は披針形で,長さ4~5mm。花弁は白色,萼片と同長で,2浅裂し,基部に縁毛がある。雄蕊は10個。花柱は短い。蒴果は10歯がある。種子は円く,径約0.5mm,楕円体状の突起がある。ヨーロッパ原産で,本州~琉球・小笠原にふつうに見られる。

・高さ10~60cm
[写真8]の左側は石段の隙間から生えていたもの,右側は開けた場所に生えていたもの。
大きさも形態もかなり違います。
左の茎は緑色,右の茎は黒紫色をしています。
同じ種類なのか確認のために,種子を比べてみました。
[写真9]の左側半分が左の茎の種子,右側半分が右の茎の種子です。
成熟度合いが少し違いますが,同じ種子です。

・茎はふつう直立し,葉とともに灰色がかった黄色の軟毛と腺毛がある
[写真10]~[写真12]
腺毛の先端は膨らんでいて,粘液を出しているようです。
腺毛で覆われた茎や萼には,動けなくなった小さな虫たちがいくつもくっ付いています。[写真13][写真14]
花弁には腺毛がないので,花粉を媒介する虫たちが捕まることはないのでしょうが,虫にとってはかなりスリリングな環境ではあります。

・葉は卵形~長楕円形で,長さ7~20mm,幅4~12mm
[写真15][写真16]
茎とともにかなり毛深いです。

・花期は4~5月
観察した5月日にはすでに解放花は咲いておらず,以降現在まで花を見ていません。
小さな蕾のようなものをいくつかカミソリで切ってみると,中には未熟な種子のようなものが詰まっていました。[写真17]~[写真19]
閉鎖花だと思います。

・蒴果は10歯がある
[写真20]

・種子は円く,径約0.5mm,楕円体状の突起がある
[写真6]
在来種のミミナグサの種子よりすこし小型です。オランダミミナグサは種子が小さく,花をたくさんつけるという,いわゆるガンマ戦略者として分布を広げているようです。
オランダミミナグサの侵入を成功させた生物学的な特性について,『帰化植物の自然史』(2012年)には次のように書いてありました。

第1にオランダミミナグサは,種子への投資率がより高く,小型の種子を多くつけ,いわゆるγ戦略者たる雑草性を示す。種子は新たに生育地を広げる第1歩であり,多産性と軽量性は散布域(立地到達力)を広げることに有利であろう。

第2として,繁殖個体の成長に大きな可塑性を有することが挙げられる。オランダミミナグサはきわめて小型の個体,草丈5mmでも繁殖に参加できる高い可塑性を有している。コンクリートの小さな割れ目などに生育している事例もよく観察できるが,これらも立派に種子生産が可能である。

第3の特性として,オランダミミナグサの発芽温度の範囲が広いことが挙げられる。5°Cの低温においても発芽が可能であり,積雪のない地域では秋 ~春にも発芽している可能性が高い。

被陰されやすい(生育条件の悪い)夏期間を種子休眠で過ごし,秋に一斉発芽するのがオランダミミナグサの第4の特性である。

より貧栄養条件の土壌に生育できる第5の生物学的特性ももつ。
発芽可能温度域が広く,乾燥による実生の生残率もより高く,貧栄養化した土壌に生育して繁殖個体の大きさに大きな可塑性を有するオランダミミナグサは,撹乱された空き地などで容易に分布を広げることが可能となっているのではないだろうか。