オオミズアオが死んでいました。[写真1]
腹部が空っぽになっています。
翅は傷んでいないので寿命という感じはしないのですが。
オオミズアオの名前は,翅の色「水青」からきています。
森の中にある深い湖の色を連想させますね。
[写真2]は翅がきれいな新鮮な個体です。(→2009年6月25日)
学名 Actias artemis aliena Bitler の種名artemisは,ギリシア神話の月の女神アルテミスからきています。
実際にオオミズアオが夜飛んでいるところを見たことはないのですが,夜空にゆらゆらと飛ぶ姿を想像すると,いかにも「月の女神」の名にふさわしいような気がします。
今の日本では,オオミズアオを見た人はほとんど,気持ち悪いというイメージをもつのではないでしょうか。
私も,オオミズアオのような大きなガを手のひらにのせるのは躊躇してしまいます。
日本人には,ガだというだけで不気味さを感じてしまう感性が身にしみついているようです。
他の国ではどうなのでしょうか。
日本と西洋とのガに対する感じ方の違いについて,奥本大三郎氏は平凡社『世界大百科事典』(2007年)の「蛾」の項目で,次のように書いています。
ローマの作家アプレイウスの《黄金のろば》には,エロス(クピド,アモル)に恋する美少女プシュケーの物語がある。炎の中にみずから飛び入って身を焼く蛾の不可解な行動は,古代・中世の人々に,火による浄化と転生の観念を与えたが,エロスに激しく恋する少女プシュケーの像も,蝶蛾の翅を背に生やした姿で表され,蛾になぞらえられている。このように西洋では,蛾が蝶と厳密には区別されず,マイナスイメージばかりではないのに対して,両者を峻別し,蝶の美をたたえる反面,蛾を忌み嫌う日本人の潔癖性は,世界の民族の中でも際だっているといえるであろう。
米国ではオオミズアオの普通名をLuna Moth というそうです。
「Luna Moth」で検索して米国のサイトを色々とのぞいてみたのですが,米国人がLuna Mothをどう感じているのかをつかむことはできませんでした。
Wikipediaの「チョウ目」の解説には,日本でチョウとガを厳密に区別し,ガを忌み嫌うようになったのは,明治以降だという説が載っています。
日本語では,ハエ,ハチ,バッタ,トンボ,セミなど,多くの虫の名称が大和言葉,すなわち固有語である。しかし,この蝶と蛾に関しては漢語である。蝶,蛾もかつては,かはひらこ,ひひる,ひむしなどと大和言葉で呼ばれていた。その際,蝶と蛾は名称の上でも,概念の上でも区別されていなかった。しかし上記のごとく英語圏からの博物学の導入に伴って蝶と,蛾の区別を明確に取り入れたため,両者を区別しない,かはひらこなどの大和言葉はむしろ不都合であった。そこで漢語の蝶,蛾にその意味を当てたわけだが,それも上記のとおり,本来の字義とは異なっている。
ソシュールは,言葉が存在して初めて概念や事物が誕生する,と言っています。言葉が,境界のない連続的現実世界を切り取る事により,概念の輪郭や種の形が作り上げられるからというわけです
明治になって「蝶」と「蛾」という言葉の輪郭が与えられたことにより,それ以降の日本人のガに対する深層心理が形作られていくことになったいえそうです。
ある意味,言葉というのは恐ろしいですね。
[写真3]から[写真6]は,私がこれまで写した写真の中から,美しいと思うガを選んだものです。
[写真3]はウスバツバメ。(→2005年10月2日)
[写真4]はツマキシロナミシャク。(→2009年6月8日)
[写真5]はイカリモンガ。(→2006年5月6日)
[写真6]はヒメヤママユ。(→2009年11月11日)