• テイカカズラ
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ケテイカカズラの花が咲いていました。
風車のような,おもしろい形をしています。

ケテイカカズラはテイカカズラによく似た花をつけますが,テイカカズラが本州全域に分布するのに対し,ケテイカカズラは近畿地方以西に分布します。

テイカカズラとの相違点は次のとおりです。(保育社「原色日本植物図鑑・木本編Ⅰ」による)
・花筒の広部は狭部と同長またはやや長い。
 (テイカカズラは,花筒の広部の長さは狭部の約1/2。)
・葯の先は花喉に達しない。
 (テイカカズラは,葯の先がわずかに花喉に現れる。)
・花喉部には通常いちじるしい細毛がある。
 (テイカカズラは,花喉部は無毛またはわずかに毛がある。)
・がく裂片は長さ5-6mm,狭長楕円形でやや上部が幅広く,花筒狭部と同長またはやや長い。
 (テイカカズラは,がく裂片は長さ2-3mm,花筒狭部よりはるかに短い。)

[写真3]左側がケテイカカズラの花の断面,右側がテイカカズラの断面図(保育社「原色日本植物図鑑・木本編Ⅰ」より)です。

定家葛とは,いかにもいわく有りげな名前です。
そのとおり藤原定家にちなむ因縁話がありました。

謡曲「定家」について,平凡社「世界大百科事典」には次のように書いてあります。
『シテは式子(しきし)内親王の霊,旅の僧(ワキ)が都の千本(せんぼん)の辺で時雨にあい,雨宿りをしていると,そこへ若い女(前ジテ)が現れて,ここは藤原定家(ふじわらのさだいえ)が建てた時雨の亭(しぐれのちん)だと教え,昔を懐かしむかにみえる。女はさらに僧を式子内親王の墓に案内する。もと賀茂の斎院だった内親王は,定家との世を忍ぶ恋が世間に漏れたため,二度と会えないようになったが,定家の思いは晴れず,内親王の死後もつる草となって内親王の墓にまといつき,内親王の魂もまた安まることがなかったと女は物語り(〈語リ・クセ〉),自分こそその式子内親王だが,今の苦しみを助けてほしいといって墓の中に消える。僧が読経をして弔うと,やせ衰えた内親王の霊(後ジテ)が墓の中から現れ,経文の功徳で少しの間苦しみが和らいだという。内親王は報恩のためにと舞を舞うが(〈序ノ舞〉),やがてもとの墓の中に帰り,再び定家葛(ていかかずら)にまといつかれて姿が見えなくなる。』

この定家葛がテイカカズラだということです。

式子内親王といえば,百人一首に
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
 忍ぶることの よわりもぞする」
という歌がはいっていますが,百人一首の選者である藤原定家はどのような気持ちでこの歌を選んだのでしょうか。