兼好法師は「徒然草」にお正月について次のように書いています。
かくて明けゆく空のけしき,昨日に変りたりとは見えねど,ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま,松立てわたして,はなやかにうれしげなるこそ,またあはれなれ。
「こうして明けていく空の様子は,昨日と変わったとは見えないけれども,うってかわって清新な心地がする。大路の様子は、松を立て連ねて、はなやかにうれしげであるのも、また情趣深いものである。 」
お正月を迎え「ひきかへめづらしき心地ぞする」強さは,歳を重ねるにつれ弱くなってきますね。
都大路の様子を「松立てわたして」と表現しているということは,兼好法師が徒然草を書いた鎌倉時代には,お正月に門松を立てる風習は一般的になっていたようです。
正月に門松を立てる風習はすでに平安時代からあったようで,歌にもうたわれています。
藤原顕季(ふじわらのあきすえ)
「門松をいとなみたつるそのほどに春明け方に夜やなりぬらむ」
藤原信実(ふじわらののぶざね)
「今朝はみなしづが門松たてなべていはふことぐさいやめづらなる」
現在の一般的な門松は,中心に竹を立て周りに松を飾るものです。
全国の民家で門松がどのくらい飾られているのかわかりませんが,京都の民家でそうした門松を見ることはほとんどありません。
京都の民家で見かける門松は「根引松(ねびきのまつ)」という門松です。
根のついた若松に半紙を巻き,赤金の水引で花結びにしたものを玄関の柱などに飾ります。
淡交社『京都大事典』(1984年)には,「根引松(ねびきのまつ)」について次のように書いてありました。
町家で一般的に用いる正月の門松。松の根が見えるように,二つ折りの半紙を巻き,門松用の金と赤の水引をかけ,門口の左右の柱下方に釘で打ち付ける。根引松は小松なので,ゆくすえがたのもしくみえるなどの意があるという。 15日,氏神社で焼納する。
小学館『日本国語大辞典』(1980年)で「ねびきのまつ」を引くと,
[1] 正月の子(ね)の日の遊びで,根のついたまま引き抜いた松。[2]地歌。松本一翁作詞。三ツ橋勾当作曲。文政年間(1818~30)成立。仕事物に属する。正月の風物を述べためでたい曲。
とあります。
門松としての「根引松」は一般的でないようで,語句として収録されていません。
「正月の子(ね)の日の遊び」とは,平安貴族が,正月の初子の日(はつねのひ)に小松を引いて,自分の庭に植えたという習わしをさしています。
「小松引」や「子の日の遊」などは新年の季語ともなっています。
講談社『日本大歳時記』(1996年)には,次のように書いてありました。
小松引(こまつひき)
―子の日の遊・子の日・初子の日・子の日の松・子の日草・子の日衣・松引
【解説】平安時代,正月初の子の日に,宮廷では郊野に出て小松をとる習わしがあった。松は霜雪にもめげず千年を経る木である。松の中でも,小松はことに祝儀にかなうとされていた。そこで松を引き,千代を祝って,そのあとで歌宴を張った。春のはじめの優雅な野遊びであった。この日に着用する狩衣(かりぎぬ)を子の日衣,引いてとる松を子の日の松,または子の日草といった。
平安貴族が正月の初子の日に引いた小松は門松にしたのではなく,自宅の庭に植えたそうなので,根引松の門松と「子の日の遊」に直接的な繋がりはないのでしょうが,何らかのかかわりはあるのでしょうね。