南禅寺の池にゴイサギがいました。
くちばしの先を水につけて開いたり閉じたりしています。[写真4]
ぴちゃぴちゃという音が聞こえて来そうです。(実際は遠くて音は聞こえなかったのですが)
何をしていたのでしょうか。
『山渓カラー名鑑 日本の野鳥』(1996年)には,ゴイサギについて次のように書いてありました。
星明かりの空をふわっふわっと飛ぶ,夜行性のサギ類。ユーラシア大陸,アフリカ,南北米大陸の温帯から熱帯で広く繁殖し,日本では本州から九州までの各地で数多く繁殖する。北方のものは冬期は暖地に移動するほか,西南日本のものの一部はフィリピン方面へ渡る。狩猟鳥。
生活 夜行性のサギ類で,昼間は竹やぶや茂った林などのねぐらで休息する。夕方,薄暗くなった頃飛び立ち,池や沼,養魚場などで魚やカエルなどを捕える。庭の小さな池などにも毎晩飛来することがある。夜通しで行動し,明け方にはねぐらへ戻る。若鳥などは時折,昼間行動することもある。繁殖期にはよく茂った雑木林,マツ林,竹林などで集団繁殖し,コサギなど他のサギ類と混合コロニーを作る場合が多い。巣は木の枝の上に作られるが, 1本の木に数つがいから10数つがいが隣合って巣を作る。巣は木の枝を粗雑に積み重ねた皿形のもので,産卵期間は4~8月,卵数は3~6個,抱卵日数は21日位,巣立ちまでの日数は28日位である。
夜行性だと書いてありますね。
今日見たのは朝7時20分頃なので,夜通し餌をとっているうちに朝がきたようです。
これからねぐらへ戻るのでしょう。
ゴイサギの名の由来について,平凡社『世界大百科事典』(2007年)には次のように書いてありました。
ゴイサギの名は,あるとき醍醐天皇の命によりこのサギを召し捕ろうとしたところ,逃げずに捕まったので,勅命にしたがったのは神妙であると,五位の位を賜ったことによるという。
醍醐天皇が五位の位を授けたという話は,平家物語に出てくるようです。
水原一校注『新潮日本古典集成 平家物語中』(1980年)「第44句 頼朝謀反」
今の世こそ王位もむげに軽けれ,昔は宣旨を向かひて読みければ,枯れたる草木も花咲き実なり,空飛ぶ鳥までもしたがひ来たる。
中ごろのことぞかし。延喜の帝神泉苑へ御幸なって,池のみぎはに鷺のゐたりけるを,六位を召して,「あの鷺取って参れ」と仰せければ,「いかでかこれを取るべきや」とは思ひけれども,綸言なれば歩みむかふ。鷺は羽つくろひして立たんとす。「宣旨ぞ,まかり立つな」と言ひければ,鷺ひらみて飛びさらず。これをいだいて参りたり。帝叡覧あって,「なんぢが宣旨にしたがひて参りたるこそ神妙なれ」とて,やがて五位にぞなされける。「今日よりのち,鷺の中の王たるべし」と札をあそばして,頸にかけてぞ放させおはします。これまったく鷺の御用にはあらず。ただ王威のほどを知ろしめされんがためなり。
もっとも,この五位鷺説話については,次のような解説が付されていました。
この話は王威礼讃に五位鷺の命名起源を併せたもので,所詮付会である。ゴイと聞える鳴き声から来た名というのが妥当であろう。広本系は特に神泉苑でのこととせず,延慶本は鵲(かささぎ)の話としているから,本来単純な挿話が起源説話に成長したものと思う。能「鷺」は平家物語によった詞章だが,祝言の芸能としては古くからあった種目ではあろう。鷺足・鷺舞など鷺の姿態が芸能に採り入れられる例があるが,平家物語にもそういう芸能性が背後に感じられる。『大風流』(上巻36頁*印参照)に「神泉苑ノ事」という演目を伝えているが,この話を扱ったものであろうか。