道にトンボがとまっていました。[写真12]
死んではいないのですが,飛べないようです。
翅をつかまえると,しきりに腹端を持ち上げて,体を二つ折りにしてきます。
移精行動をしているのでしょうか。

名前を調べてみると,ミルンヤンマ♂でした。
以前に,この道脇の水路でミルンヤンマが羽化していました。
その時は,飛び立ったあと水の中に落ちてしまって,羽化殻しか観察できなかったのですが。
(→2014年8月1日

北海道大学図書刊行会『原色日本トンボ幼虫・成虫大図鑑 』(1999年)に載っている検索表を使って,順番に検索してみました。

① 前翅と後翅の形が違う。翅に三角室がある。[写真3]
→不均翅亜目に該当

② 翅の三角室は,前・後翅とも同じむき。[写真3]
→ヤンマ科かサナエトンボ科かオニヤンマ科かムカシヤンマ科である

③ 二つの複眼が広く接している。[写真4]
→ヤンマ科である

④ 太い黒色条か,暗色条がある。[写真5]
⑤ 腹部第3節がくびれる。[写真6]
⑥ 翅中室に横脈がない。[写真3]
⑦ 翅の縁紋は,前・後翅ともほぼ同じ長さ。[写真3]
⑧ 腹部にほぼ等間隔の平行紋がある。[写真2]
  ♂の尾部上付属器の先端が鉤状でない。[写真8]
  頭部前面が広く黒色。[写真10]
→ミルンヤンマ属である

⑨ 腹部の各節後端には紋がない。[写真2]
  ♂の尾部上付属器の先端がふくらむ。[写真8]
  頭部前面の後額片は淡黄色,上唇にも淡黄色紋がある。[写真10]
  第10節背面に淡黄色部がある。[写真7]
→ミルンヤンマである。

北隆館『新訂原色昆虫大図鑑』(2008年)には,ミルンヤンマについて次のように書いてありました。

中型のヤンマで,腹長53mm内外,後翅45~50mm。体は黒色に黄斑があるが,老熟すると黄褐斑になる。前額盾と前額前面には黒紋がある。翅胸前面には「ハ」字紋,側面には太い黒条があり,その最上部には小黄点がある。翅は狭く,特に縁紋から先は短い(図)。腹部第2~8節に黄帯があり,第10節の大部分は黄色。♀の翅の基部は褐色であること多く,時に結節をこえて延長する。本州・四国・九州・種子島・屋久島に分布する。山間の渓流に育ち,早朝夕暮飛翔種で,6月頃から10月まで見られる。和名と種小名はイギリス人J.Milneに由来する。

・翅胸前面には「ハ」字紋
→[写真11]

・側面には太い黒条があり,その最上部には小黄点がある。
→[写真5]

・本州・四国・九州・種子島・屋久島に分布する
外来種のような名前ですが,日本特産種です。

・山間の渓流に育ち
発見場所は,南禅寺別荘群を流れる水路脇です。

・和名と種小名はイギリス人J.Milneに由来する
名前の由来となったジョン・ミルンは,明治時代に来日したイギリスの地質学者です。
千葉県立中央博物館の教室博日記№1276 ミルンヤンマに,学名にミルンの名がつけられた経緯について,次のように書いてありました。

ミルンヤンマに学名を与えたのは19世紀ベルギーのトンボ研究大家セリー男爵(Baron Edmond de Selys Longchamps)である。1883年のその著書『Les Odonates du Japon(日本のトンボ類)』において、ミルンヤンマを新種として記載した箇所には「この種名を、日本の科学の発展に大いに貢献した東京大学動物学教授ミルン氏に捧げる」という記述がある。この「動物学」教授というのは間違いだが、別の箇所では「地質学」教授と正しく記述しているところをみると、セリーはミルンのことをあまりよく知らなかったようだ。
 日本を訪れたことのないセリーは、友人である英国の昆虫学者マクラクラン(Mac Lachlan)のコレクション、および彼を通じて入手したルイス(Lewis)、プライヤー(Pryer)およびミルンのコレクションに基づいてこの本を執筆したと書いている。ルイスは甲虫の研究家として、プライヤーは『日本蝶類図譜』の著者として知られ、2人とも日本に住んだ英国人商人であった。この中でミルンだけが昆虫の専門家ではない。

標準和名に人の名がついていると,イメージしにくいですね。
やはり,虫や植物の名は種の特徴を表すようなものが,わかりやすく親しみが持てます。