台所のシンクの底に,ずぶ濡れになったクモがへばりついていました。
全身が黒くて,カニの甲羅のような形をした背甲,歩脚のように見える長い触肢。
キシノウエトタテグモです。
今までも何度か,このブログでとりあげています。(→2014年11月25日2014年11月18日2012年10月5日2007年10月2日)

環境省レッドリストの準絶滅危惧種,京都府レッドデータブックでも準絶滅危惧種に指定さていますが,京都市の中心部では意外に多く生息しているようです。

東京、横浜、京都など大都市の中心部に多く、郊外に行くに従って減少する。

神社、仏閣や旧家が多い京都には比較的多数生息している。しかし、近年はコンクリートで固められた石垣が多く、そのような場所に本種は生息できない。また、再開発によって京都市の伝統的な町並みが破壊され旧家がどんどん減少していること、除草剤などを散布する寺社が多いことなどから、本種の個体数は激減していると思われる。

小野展嗣編著『日本産クモ類』(2009年)によると,キシノウエトタテグモ Latouchia typica(Kishida,1913)はトタテグモ科キシノウエトタテグモ属に属します。
トタテグモの「トタテ」は「戸立て」で,地中に管状の住居を造り,入り口に扉をつけることから名がついています。
それでは「キシノウエ」は何から来ているのでしょうか。

生息場所は「人家近くの崖地や庭先,石垣の間」なので,「岸の上」は生息場所を示しているのではないようです。
ネットで検索してみると,キシノウエは人名で「岸上鎌吉」に献名されたものとか。
命名者は「Kishida,1913」とあるように,岸田久吉(1881-1968)。
岸田久吉は日本のクモ学のパイオニアで,平凡社『動物大百科15』(1987年)には次のように書いてありました。

日本で,プロ,アマを問わず現在活躍しているクモの研究家のほとんどは,岸田久吉(1881-1968)という学者の弟子あるいは孫弟子にあたる。
 岸田は今世紀の初め,ちょうどベーゼンベルクとシュトラントの大著≪日本のクモ≫が刊行されたころ,当時日本人はだれもやっていなかったクモの研究を始めた。その後,岸田の興味はクモにとどまらず,あらゆる動物群に及び,みずから≪ランザニア≫という博物学雑誌を主宰したりした。岸田は,学問的には多少節度をこえた点もあって,哺乳類や昆虫学者のなかには酷評する人もいるが,蜘蛛学においては,まったくの暗闇(くらやみ)に明かりをともし,当時世界に類をみない蜘蛛学会を創設し,多くの弟子を育てたことで,その業績は高く評価されている。

献名された岸上鎌吉は,こちらも日本水産学界の先駆者として知られる学者です。
小学館『日本大百科全書』(1985年)によると,

岸上鎌吉 きしのうえかまきち (1867-1929)水産生物学者。愛知県生まれ。1889年(明22)東京帝国大学理科大学動物学科を卒業し,91年農商務省水産局技師となる。1990年(明治42)農科大学に新設の水産学科教授となり,その後帝国学士院会員に選ばれた。

日本水産学界の先駆者として水産動物の分類学,形態学,水産原論,漁業学などを研究,新種の発表も多くある。とくにカツオ・マグロの系統確立は,今日でも世界の学界で高く評価されている。

なぜ岸上氏に献名されることになったのか,経緯については八木沼建夫他著『クモの学名と和名-その語源と解説-』(1990年)に載っていました。

 本種は岸上鎌吉氏が1889年(明22年)に東大構内で初めて採集し,同年に動物学雑誌1巻6号に詳しい記述をし,また同誌1巻9号にその補遺を書いた。のち岸田久吉氏(1913)は本種を紹介し,発見者に因んで Kishinouyeus typicus の名を与えた。岸田氏談(1953)によると, 「1912年に本種の記載を日本のある雑誌に投稿したが,掲載を拒否されたのでアメリカの雑誌に発表すべく論文を送った。ところが掲載するためにはタイプ標本を送れというので,直ちに原稿を取り戻し Arachnologia 第1号に発表した」とのことである。しかし今日まで Arachnologia という雑誌の存在は不明なので, 1913年の科学世界7 (4)の記述が原記載として扱われている。
 Kishinouyeus は Latouchia から分離するほどの標徴を持たないので八木沼(1960)は,これを Latouchia として扱った。後日岸田氏は「Latouchiaでもよい」と言われたことがあり,結局学名はLatouchia typica (Kishida,1913)となる。
 岸田氏が記述した当時は東京でのみ発見されていたが,今日では広範囲に分布し,本州・九州各地から知られている。四国のリストにも出ているが確たる証拠はない。

岸上氏は発見者だったのですね。
しかし,動植物の和名は,種の特徴を適切に表現するような名前がよいと思います。
発見者であるとしても,和名に人名を冠するのはどうなのでしょうか。

献名したために紛らわしい例もあります。
タカチホヘビは,最初に発見されたのは九州ということで,てっきり高千穂で発見されたものと思っていましたが,タカチホは地名ではなく発見者の高千穂宣麿にちなむものでした。(→2012年10月16日
タゴガエルは「田子」で田んぼに生息するカエルのようですが,「タゴ」の名は両生類学者の田子勝弥氏へ献じられたものです。(→2013年5月21日
学名にある外国人の名前をそのまま和名にするのも,外来種のようで愛着がわきません。
ミルンヤンマ,マルタンヤンマ,シュレーゲルアオガエル……

1,500種以上の植物に命名し,日本植物分類学の基礎を築いた牧野富太郎は,人名を冠することに批判的でした。
しかし,唯一,人の名を冠したものがあります。
スエコザサ。
亡くなった妻の名を冠したものです。